武相学園と武相荘
★ここのところ日本のダンディズムの象徴、カントリージェントルマンの典型として白州次郎さんがテレビや書籍で取り上げられている。軽井沢で、本屋に行けば、軽井沢関係者のコーナーに白州次郎さんや白州正子さん関係の書籍が積んである。文化人だから当然だろうぐらいにしか思っていなかったが、そういえば、白州次郎と言えば、GHQと対等に渡り合い、戦後日本の再生に尽力した紳士であった。
★GHQの憲法草案を翻訳したメンバーの1人でもあり、憲法第九条を、押し付けられようが押し付けられまいが、いいものはいいと言った真の護憲派でもある。考えてみれば、今話題になるには、そういう大きな理由があったのだ。また妻であり作家である白州正子さんの日本の文化に対する目線も重要だ。人に忘れられたような寺社や街道を、丁寧に表現し続けたからだ。
★あるテレビ番組を2つ見かけて(どちらも通して見たわけではないので、どこの番組だったかも記憶にない)、町田市鶴川にある白州邸の名称が「武相荘」であるということに今更ながら気がついた。「武相荘のサイト」にはこうある。
★「1942(昭和17)年 次郎40歳/正子32歳 : 10月、日本の敗戦と食糧危機を見越して東京郊外鶴川村(現、東京都町田市能ケ谷町1284)に、茅葺きの農家を購入。武蔵と相模の国境いに位置することから、無愛想をもじって『武相荘』と名づける」と。
★エッ!驚いた。フリー百科事典Wikipediaによると、「1942年(昭和17年)、考古学者で歴史家でもあった石野瑛が、青少年教育の重要性を感じ、港北区篠原町富士塚に旧制武相中学校創立。その後、生徒と共に原野であった松風台(現・武相台)を開拓し移転。当時この場所は見晴らしが良く、旧国名の武蔵国と相模国が一望できたことからその頭文字を一字ずつ取って校名にした」とあるからだ。
★創立者石野瑛先生が考古学者で歴史家であったのであれば、白州次郎さんか正子さんのどちらかとは知り合いだったかもしれない。互いの地理的条件について話し合ったかもしれない。それは全くの憶測にすぎないが、居場所に対する思いや視点が白州次郎さんと石野瑛先生とは同じだったということであろう。
★石野瑛先生も白州夫妻も日本の文化を深く理解していたことも共通している。武相学園は男子校である。両者に関係があろうがなかろうが、今後は白州次郎さんのダンディズムと武相学園がどうしても重なってしまう。(本間 勇人)
| 固定リンク

