女子学院の教育力
★女子学院(以降JG)のサイトにJGニュースが掲載されているが、ここの記事を読むとJGの教育力の高さや深さがわかる。
★たとえば、「高3の生徒による礼拝」というニュース。卒業を目前にした高校3年生が、1月17日から31日まで9回にわたり、中・高の礼拝で話をする。その内容は、中・高6年間の中で、礼拝や授業、生徒会活動やクラブ活動を通して感じた様々な思い。1人の生徒の話の内容が紹介されているので、ぜひご覧頂きたい。JGの生徒がいかにして多角的知性を育成するのかそのシステムがわかる。
★そのシステムとは、「書く行為の多様なチャンス」である。「講演会等の行事の度に感想文を書くことになったり、理科系の授業でさえ実験の度に真っ白な紙を手渡されたりで、それを文字で埋めるのに私は、毎回四苦八苦していました。しかし、私が最も苦手としていたのは国語の自由作文と礼拝ノートでした。」とある。
★様々な次元の「書く行為のチャンス」でJGの教育は編まれているようだ。そして最も高次の「書く行為のチャンス」は礼拝ノート。しかも書く行為は、プレゼンテーションにもシフトする。つまり、礼拝ノートは、最終的には「クラスの皆の前でそれをよまなくてはならない」それは「自分の感じた事を素直に書き表すのは私にとってとても勇気の要る作業でした」と言わしめるほど、言葉と思考の総合的な学び行為なのである。
★それにしても、高3の生徒の文章を読んでいくと、これは桜蔭にはまったくない書く行為のチャンスであることに気づく。高3の生徒はイエス・キリストの復活の聖書解釈に挑んでいる。解釈というと日本の文化ではあまり良いイメージがないが、ヘルメノイティークという真理を探る議論なのだ。しかもその真理たるや、簡単に近づけない。日本の文化では独断と偏見と憶見で終わってしまうが、聖書解釈は、その罠に陥らないように、どこまでも検証と議論と思索を続けていく、ネバーエンディングストーリー。
★科学的思考やクリティカル・シンキングというのが普遍的思考であり、グローバル・ベーシスであるのは、この欧米の聖書解釈の行為が前提にある。ノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈さん自身、中学時代同志社で学びそれを感じたと言っているぐらいだ。
★これは桜蔭では体験できない教育である。もちろん桜蔭の生徒がキリスト教信者である場合、それは可能だが、学校としてそのような教育はしないというのは確認するまでもないだろう。
★ともあれ、この高3の生徒の文章を読むと、リアルとバーチャルの視点、信用するという言語行為の多義性が聖書解釈から生まれてくる過程がわかる。この文化的背景がなければ、残念ながら現代思想はわかりえない。というのもハイデッガーにしてもフロイトにしてもデリダにしても、ある意味聖書解釈との相克であり、脱構築なのだが、再び聖書解釈に立ち戻っているという循環からの飽くなき思考挑戦だからだ。
★現代思想の戦略が、JGの生徒ばかりではなく、麻布生の強靭な思考力にも通じる理由が、改めてわかったような気がする。開成でもこの強い思考力を育成することが可能なのは、創設者や初代校長高橋是清が欧米のキリスト教的精神を受容していたからである。実際、開成には、今でもこの精神を再構築しようという先生や自ら聖書解釈に挑んでいる先生が存在する。
★JGもまた≪私学の系譜≫の保守本流ということか。(本間 勇人)
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