穎明館のハビトゥス
★全私学新聞(4月13日号)論壇で、穎明館中学校・高等学校校長久保田宏明先生が「学校評価は誰のためのものか」について語られていた。興味深かったのは、2つ。
★まず1つは、学校評価について語る前に、教育の権利論と事実論を確認されていた点。37年前に出版された「これからの教育」という本から次のような箇所を引用されていた。
「学校というものは全ての子どもたに教育の機会を与える。しかし、それは同時に子どもたちの自由な日々の大半を狭い囲いの中に閉じこめる。能率的に子どもたちの知力を強化するが、同時に定められたカリキュラムや学習指導要領の枠の中に一方的に押しこめる。一方で子どもたちの社会性を促進するが、同時にかれらを国の思いどおりに仕立てていく。社会が完全な理想社会であれば、それもよかろう。しかし、現実はそうでない。だから特に義務教育というものはよほど慎重を期すべき両刃の剣と言わねばならない。」
★権利論的には義務教育のやろうとしていることはよくわかるが、慎重を期さねば事実は決してバラ色ではない。理想社会が出来上がっているのではないから、常に矛盾を孕むのが教育現場。そのことは37年前も今も変わっていない。教育再生会議で、教育改革論議を交わしているようだが、この大前提が抜け落ちているのでは。どうも「国の思いどおりに仕立てていく」傾向が強いのではと久保田校長は言いたいのではないだろうか。
★久保田校長は、明星学園の12回生で、早稲田に学び、教育行政で活躍した後、駒東の校長に就任、その後現在に到っている。教育行政という矛盾そのものの中で舵を切り、その事実論を権利論で昇華する私学という教育現場で理想に向かうという両方の経験をされている。
★だから「学校評価」についても、PDCAなどというサイクルなどは、当たり前でやっていない学校もないし、やらない人材も本来はいない。大事なのはそのサイクルをやるかやらないかの議論ではなく、子どもたちの状況に応じて独自のビジョンを立ててやれるかである。しかし今の議論は「評価結果をまとめ、文書を作成する自体が目的化する『評価のための評価』」になってはいないだろうか。この論点がもう1つの興味深いポイント。
★これは公立学校だけではなく、私立学校にも警鐘を鳴らしている。子どもたちの教育充実のためのビジョンなきPDCAサイクルなど役に立たない。学校経営論の側面だけで進んでは困るよと語っているのではないか。
★今年の穎明館の大学合格実績は、いつものように良い結果を出している。東大・早慶上智は卒業生比50.3%、東大・早慶上智・MARCHとなると131.9%(サンデー毎日2007年4月29日号判明分)。この実績は、子どもたちのための教育の論理と経営の倫理という権利論と事実論の螺旋運動という穎明館の歴史性が土台になっているということだろう。この螺旋運動が明確に認識されているのが、穎明館のハビトゥス=目に見えないカリキュラムだし、その歴史性が穎明館の文化再生産の軌跡と未来への道のり。(本間 勇人)
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