海城の将来構想の考え方(4)
★海城の将来構想の考え方(3)のつづき。1991年海城学園は100周年を迎えた。日本はバブルがはじけて経済の空白期に突入していた。欧州では89年にベルリンの壁が崩れ、4年後の93年には、EUが創設されるが、その準備が進んでいた。米国ではクリントン大統領の時代に入り、ブレア首相とともに、「教育、教育、そして教育」という教育の時代に突き進んでいた。同時に90年代は脳科学の時代でもあった。コンピュータの時代でもあり、AIの失敗から新しい脳科学とITの融合の時代にシフトしていた。
★日本は少子高齢化が明確になってきて、経済はしばらくう右肩下がり。しかし、それは世界の動きに遅れていたのではなく、遅れている部分が大きくきしんだ現象だったに過ぎない。ただ、歴史は振り返ってわかるもので、一方では、既得権確保のために保守主義者は従来の産業構造をなんとか建て直そうとしたし、もう一方では20年、30年、50年先を見通して(当時の流行語として)パラダイム・シフトを仕掛ける新しいクラスが生まれていた。
★今そのクラスは、クリエイティブ・クラスと呼ばれている。海城学園の理事長古賀喜博先生も、その1人である。1991年、100周年を期/機に、100年の不易を思い、100年の流行を見通した。グローバルな進学実績と新しい紳士というNew Classを輩出する新しい学びの実現。
★その実現の1つが、1996年に開設された那須海城である。クリエイティブ・クラスの発想は、一部のエリアの師弟に限定して新しい紳士を育成するのではなく、世界中の子供たちにチャンスを設定するという発想。しかもこの新しい紳士は、欧米流儀のノーブレス・オブリージではなく、日本流儀でありながら世界標準に耐えられるノーブレス・オブリージ。具体的には、これからその輪郭がさらにはっきりしてくるだろうが、そういう100年先を見通したベクトルを、那須海城のエンロールメント戦略を組み立てるために、海外でフィールドワークをして、海外からの目線で捉え返した。受験業界用語でいう御三家、新御三家と呼ばれる男子校に位置している海城学園であるが、他の御三家の学校で、海外に船出して、世界のベクトルを実感し、それを実行に移すダイナミックなところはあるだろうか。このダイナミックさこそ、海城学園のハビトゥス形成の特長でもあろう。
★それはともかく、もう1つの古賀理事長の実行は、海城学園自体の大きな舵取りの転換であった。20年先、30年先の海城学園を担う教師たちのアイディアを汲み上げる柔軟な組織づくりを序破急の時の流れに合わせて、静かにダイナミックに実行していったのではないか。その結実の1つが将来構想検討委員会の設立につながったのだろう。
★そういえば90年代は、垂直的組織が水平的組織へと大きく組織観がシフトした時代でもある。ボトムアップとトップダウンのループをどう見出すか。振り返ってみて気づくことだが、今日、成長、成功している組織は、組織構造を思い切って転換している。
★海城学園の組織は、トップダウンだけでも、ボトムアップだけでもない。もっとも柔構造で、変幻自在な組織として成長している。しかし、一方でこれは、アメリカナイズされた日本の消費社会のメンバーからは見えにくい。この最強の組織の構え、でも見えにくいという姿を、将来構想検討委員会委員長の中田大成先生は、「リゾーム」と表現した。
★90年代の現代思想を牽引した言葉であり、フランス発信の思想である。しかし、日本はこの組織をあらわす言葉を理解できなかった。「ツリー構造からリゾーム構造へ」という表現はできず、せいぜい「ツリー構造からネットワーク構造へ」としか表現できなかった。ITのあり方をレトリックとして使うことはできたのだろうが、インターネットの中のコミュニケーションは、ネットワーク型ではなく、本来リゾーム型。Web2.0という発想は、ツリー構造のバージョンアップにすぎないネットワーク型発想を破るリゾーム型発想にシフトすることを予想している。
★しかし、この発想はすでに19世紀末の欧米、日本の文化背景にすでにあったことも確かである。それを麻布学園の氷上校長は見抜いて、19世紀末から未来を逆照射する戦略で、海城学園の未来ベクトルと同じような方向性を確認している。海城学園が「新しい紳士」なら、麻布学園は「新しい教養」という表現をしているのである。
★海城学園が、いかにエクセレントな学校なのか、それは先生方の日々書く行為とそれをデータベース化して、過去と未来をつなげてしまう構想力にあるのだが、その証明には膨大な時間がかかる。次回からはその片鱗をご紹介したい。[本間 勇人 Gate of Honma Note ]
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