聖園の精神を受け継ぐ生徒たち
★2007年9月アクセスランキングによると、聖園女学院の記事もアクセスランキングが高い。カトリック校としての精神を前面にだして教育に取り組んでいる真摯な学校だけに、どこかホッとする。
★校誌「みその」(52号2006年)の巻頭言で校長先生は谷川俊太郎の次のような詩を引用している。
目をつぶっていると、神様が見えた
うす目をあいたら、神様は見えなくなった
はっきりと目をあいて神様は見えるか見えないか
それが宿題
★そしてこの詩についてこう語っていらっしゃる。
・・・もし私達が、生きてゆく為に目に見えるものしか関心がなくなったとしたら、つまり物質的に豊かな生活をし、目に見える事物だけに満足しているなら神様は全く見えなくなってしまうのです。はっきりと目をあいて見るべきものをしっかりと見つめた時、神様を感じとれるのではないか、見えてくるのではないか、それを人生の、生涯かけての課題にしたいと訴えているのだと思います。・・・時の流れに流される自覚のない生き方でなくその背後に存在する方に、感謝と畏敬の念をもつことです。そして授かった生命と人格の品位を大切にし、合わせて他者への奉仕に心を配る生き方をする一人ひとりになりたいものです。
★校長先生は、信仰について、神への愛について語っていらっしゃるが、神への愛は真理の光であり、知性にも良い影響を与えるようである。中2のOさんは、「野外観察で得たもの」というテーマのレポートで次のように書いている。
私は野外観察へ行って、海には隠されている物がたくさんあると考えました。何故そのような事を考えたかというと、遠くから海を眺めている時は波の動きや音しか聴こえないのに、近くに行ってみると生物達が出てきたり、岩陰に隠れていたりするからです。海は遠くから見ると殺風景に見えると思いがちですが、それは違うのです。皆が見ていない所、見えていない所で、たくさんの生物が生きています。・・・
★Oさんの生物を観察する視点は校長先生のあらゆるものの背後にあるものを見つめる目線と重なっている。この視点は遠くの世界で困っている子供達の痛みを知る心にも通じる。このように聖園女学院は普遍的な精神を教師も生徒も共有している。このような教育はいかにして可能なのだろうか。聖園女学院の教育の奥はなんと深いのだろう。[本間 勇人 Gate of Honma Note ]
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