礼拝はプロテスタント校の原点
毎朝プロテスタント校では、礼拝がある。礼拝の建築空間、パイプオルガン、賛美歌、聖書朗読、説教、祈りは精神と知の学びの拠点である。
99年の秋、8時15分、パイプオルガンの調べと共に斎藤正彦院長(当時)が講壇に現れ礼拝が始まった。
「『見よ、その日が来ればと主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。』……身体の健康は食べ物で何とかなるが、心の健康は何によって満たされるのか。
今の日本社会は、飽食の時代を迎えている。しかし心は飢え渇いているのではないだろうか。最近の多くの惨めな事件はこの飢えと渇きを癒したいという欲望が原因だが、物質的な欲望はそれを癒しはしない。心は言葉によって満たされる……。」
プロテスタント校の礼拝は、女子学院と基本要素は同じである。
女子聖学院の校長小倉義明先生も「チャペルという建築構造、音楽というハーモーニーの構造、聖書というロゴスの構造と魂、説教やメッセージという言葉の構造などあらゆる知性を通してグローバルベーシスを身につける学びの拠点。それが礼拝です。」と語る。
諸般の事情から閉鎖を余儀なくされた青山学院横須賀分校の後を継いで、1950年横須賀学院が創立。太平洋戦争直後、平和はキリスト教主義の民主主義に基づく教育からという考えによって建てられた。
その精神は今も横須賀学院の礼拝に継承されており、生徒にも礼拝でメッセージを語る機会がある。生徒たちの話は毎年「生徒礼拝お話し集」という冊子にまとめられている。
ある中3生は「……私は中学に入学してから今まで数多くの悩みを抱えてきました。……そんな時、支えになってくれたのは友だちや先生、そして家族でした。……みなさんも多くの悩みを抱えていると思います。独りで悩むのではなく、友達や先生、家族に相談してみてはどうですか。……『共に生きる』という言葉をかみしめ……。」というメッセージを発表している。
この言葉に触れて、斎藤院長が話してくれた言葉を再び思い出した。
「目に見えない大切な価値やそういう精神性をないがしろにする権力に対し、言葉によって心を空虚にされない自由を保てる自立した人間に育って欲しい。知識偏重の合理主義や教育を世渡りの手段とみなす功利主義を見破れるような力を養って欲しい。しかし、思い通りになるわけではない。だから、このような教育理念について学院中で討議して、礼拝により継承し、各教科の教師が、教科を超えた知恵を生徒たちと分かち合うのだ。」
六年間毎朝、このような機会に参加するということは、共感性、深い知性、リーダーシップなどを学ぶということを意味するのである。
女子聖学院のチャペルは、日本の建築界を代表する一人木村俊彦氏(2006年日本建築学会大賞受賞)の設計。独立前は丹下健三氏も育った前川建築設計事務所で活躍。前川國男はル・コルビジェやフランク・ロイド・ライトの流儀から独自の流儀を開発。日本建築の祖とも言える。(写真は女子聖学院のホームページから)
[初出:NettyLandかわら版12月号]
(本間 勇人)
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