2007年3月26日 (月)

文部科学白書に吼える西日本新聞

西日本新聞朝刊(2007年03月26日00時02分)は「2006年度版文部科学省白書」の内容に関して、吼えまくっている。

★たとえば、「未履修問題は、教育委員会に対する国の権限を強める教育関連法改正論議の契機ともなり、改正案づくりは大詰めを迎えている。教育再生をテーマとした白書で、この問題を素通りしようとした文科省は「感度が鈍すぎる」と批判されても仕方があるまい。国民が教育問題を最重要課題と考える要因の1つに、文科省を頂点とする教育行政に対する根深い不信があることを、あらためて肝に銘じてもらいたい。」と。

★その通りであるのだが、なにせ「鈍感力」が武器である政界と官僚。いかに吼えようと、響くはずもない。マスコミ挙げて、≪良質学校の系譜≫、≪名門校の系譜≫、つまり≪私学の系譜≫を調査してみてはどうだろう。驚くべき事実、明治から何も変わっていない教育の実体が露になると同時に、救いの道が連綿として続いていることに気づくだろう。

★破格のスーパーフラット組織とそのメンバーが生まれる以外にこの国の教育は変わらない。そして、そのチャンスが続いているということに。(本間 勇人)

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2007年3月25日 (日)

日本経済の父渋沢栄一

R25№134のR×R(ランキンレビュー)に「日本経済の父渋沢栄一ってどんな人?」という記事が掲載。こういう記事がR25に載る時代である。経済と教育の両輪が重要ではないかということが若い世代にも広まるのは良いことだ。

★それはともかく、R25のサイトでは、本文しか掲載されていないので、「渋沢氏の最大の功績は、大蔵省(当時)在籍時に日本経済システムの基盤を作ったこと」という趣旨しか書かれていないが、実はこのR×Rの一大特色は、ランキング表が載っていること。これはフリーペーパーそのものを見なければわからない。

★この記事のランキング表のお題は「渋沢栄一はこんな男だった」。こんな男は5つの側面で語られていた。「起業家の祖」「民間外交を実現」「企業活動理念の生みの親」「田園調布を作った!?」「大学・企業を大量生産」というわけだ。

★これは別の言葉で言い換えると「リーダーシップ」「官尊民卑の打破」「道徳経済合一説」「環境都市の建設」「教育と企業の結びつき、つまりキャリア・デザイン」ということになるだろう。

★21世紀は、企業と教育の関係が重要であり、経済だけが優先したり、教育だけが雲の上の存在になったりしても困る。そのベースの価値は、道徳経済合一説。渋沢栄一は、―この理念が今も浸透しているかどうかは別としても―その思いで、同志社、慶應、早稲田、東京女学館、日本女子大などにかかわったのは確かだろう。

★私立学校は、渋沢栄一の官尊民卑の打破という志しと経済道徳合一説という理念を継承していることを期待している。≪私学の系譜≫をたどれる≪私学≫こそクリエイティブ・スクールではないだろうか。(本間 勇人)

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2007年3月20日 (火)

「ガイアの夜明け」公立vs私立が映し出すコト???

★3月20日の日経スペシャル「ガイアの夜明け」では、≪「公立」vs「私立」~教育再生の最前線では~≫というテーマで教育ニュースが報道された。

★郁文館夢学園、千代田区立九段中等教育学校、品川区の学校選択制を例に、学力向上、教師の研修、教師の経営感覚育成などが紹介された。

★基本的には、私立中高一貫校の教育と経営を公立も学び始めたということを浮き彫りにしたかったのか。

★企業家が経営する私立中高一貫校の姿、WA塾の支援を頼む公立中高一貫校の姿、学校選択制度で強迫観念に駆られる教師の姿・・・。

★生徒はお客様と命令される教師、生徒募集のために学力向上の公約をする公立中学の校長、一般の公立学校の10倍の予算を使う公立中高一貫校。

★生徒も教師も人間ではないか?学力向上より人間向上ではないか?優勝劣敗より愛ではないか?

★≪私学の系譜≫から見れば、すべてどこかがおかしい。ガンバリズムではなく、好奇心と開放性、そして創造力。軍隊主義的授業ではなく、対話型・問答型の授業。≪私学の系譜≫は、勉強ではなく学問である。特訓をさせられるのではなく芸術に放心する美学である。量の競争ではなく質の競争である。子どもたちのための変革ではなく人間のための変革である。

★日経スペシャル。まさか興味本位ではあるまいが、とにかく何かが変だ。(本間 勇人)

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2007年3月 5日 (月)

福澤諭吉と江原素六の精神的接点

★麻布の氷上校長先生から、麻布学園が江原素六に学ぶ理由について聞いて(参照→「私立学校が継承するもの~麻布の氷上校長語る」)以来、≪私学の系譜≫を追っている。そんなときふと、時間的な歴史存在として、たしかに福澤諭吉、江原素六、新島襄は並ぶが、三者はどのような精神的関連があるのだろうかと思った。

★江原素六、新島襄の思想が、内村鑑三や新渡戸稲造に流れていくというのは、プロテスタントをキーにすんなりと理解できるが、福澤諭吉の思想が、内村、新渡戸に受け継がれる精神的なコアの部分は何だろう。

★南原繁は、内村鑑三の門下。したがって、南原繁の弟子であり、マックス・ウェーバーの研究者大塚久雄が、無教会派に属するというのはわかる。しかし、南原繁の同じく門下であった丸山真男はプロテスタントの洗礼は受けずに、福澤諭吉に帰ったのは何故なのだろう。

★やはり福澤諭吉は江原素六、新島襄とは一線を画すのか。≪私学の系譜≫として慶応義塾は独立独歩の道を歩んでいるのか。

★そんな思いを明大明治の松田孝志先生に話すと、接点はあると教えてくださった。「福澤諭吉は、J.S.ミルの功利主義に影響を受けている。ベンサムの流れだから、個人が楽しければよい、幸せであればよい、苦痛は排除しようという、現代の経済優先の考え方に似ている考え方だと思われている。一方でそのためにルールで最小限規制するわけだから、ケインズにも影響を与えたといわれている。世の中のミルの功利主義は、いろいろ誤解も多いのは、そういうところにあるかもしれませんね。ところが、ミル自体は功利主義の誤解を解こうとしたんだね。個人の幸福は自分を犠牲にしても他者の幸福を守るところにもあるという論理を使うんだね。実際、『功利主義』っていう著書の中で、『ナザレのイエスの黄金律の中に、われわれは功利主義倫理の完全な精神を読みとる。おのれの欲するところを人にほどこし、おのれのごとく隣人を愛せよというのは、功利主義道徳の理想的極致である。』といっているほどなんだね。」

★なるほどとピンときた。福澤諭吉の思想にはミルのような「功利主義」の影響があったんだとすれば、つまり究極的にはプロテスタンティズムに影響を受けていたとするならば、江原素六、新島襄とも精神的に共通するものがあるということを意味する。

★来年開塾150周年を迎える慶應義塾は、江原素六と共通の理想を共有する≪私学の系譜≫なのである。(本間 勇人)

※≪私学の系譜について≫参照→<回答>中学受験ってどうなの!?(2)

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2007年2月21日 (水)

中学受験 わが子をつぶす親、伸ばす親

★「中学受験 わが子をつぶす親、伸ばす親」(NHK出版 2007年2月10日)が出版された。著者はあの安田理さん(安田教育研究所代表)。中等教育段階の学校情報、教育情報を収集・分析し、学校や保護者に対し教育コンサルティングをしている優良シンクタンクは2つある。安田教育研究所と森上教育研究所。安田さんと森上展安さん(「中学受験図鑑」ダイヤモンド社など著書多数)は、中高一貫校の存在意義を支える双璧である。

★その安田さんが、長年のコンサルティングや講演の経験をコンパクトに一冊の新書にまとめられたのが本書である。

★森上さんが戦略的な手法で情報を分析・収集するのに対し、安田さんは心理学的実存的手法で情報を分析・収集する。中学受験という1つの社会現象にかかわる各人の背景にある不安を読み取る手法。今回は特に親が抱く不安に着目し、その不安をいかに解消していくかで、強迫観念の殻を破り、結果的に自分の子供の才能を開花していくことになることを提唱している。

★親が不安を解消するために、安田さんは5つぐらいの視点でまとめられている。

(1)親が中学受験の実態としての情報を整理すること

(2)親が学校の情報を整理すること

(3)親が子どもとどうかかわるかの情報を整理すること

(4)親が子どもを知るための情報を整理すること

(5)親が自分自身の情報を整理すること

★(4)(5)の視点で書かれている「身を助けるのはオタク的部分」「新幹線よりも各駅停車で」というセクションなどは、安田さんご自身、講演の中でよく触れられるお話だが、何度聞いても読んでもいいお話だ。

★それから特集Ⅰ「300字の学校ガイド―首都圏・関西圏50校」という章がある。安田さんご自身は、ベストな学校というより、様々なタイプの学校を選んだと断っているが、安田さんの優しい目の中に入っていくる学校であることに違いはない。どういう学校が選択されているのか、ぜひ読んでみてはいかがだろうか。(本間 勇人)

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2007年2月20日 (火)

教育委員会が私学指導???

★青天の霹靂とはこのことだろうか。いやすでに私学の先生方から教育基本法の改正の危うさを聞き及んでいたからある種の予感はあったが、それにしても教育委員会が私学指導を実行しようというのが本当だとしたら、これは私学の先生方は権利の闘争、教育の質の闘争をせざるを得なくなる。

★今朝の産経新聞(2007年2月20日)によると、「文部科学省は19日までに、私立学校をめぐる行政に教育委員会を関与させる方針を固めた。私学行政は都道府県の知事部局が担当するが、私立の未履修発覚高校が公立の2倍以上に達するなど、指導の強化が必要と判断した。」という。

★そして「文科省では地方教育行政法を改正する方針で、教委と首長の教育行政の範囲の弾力化を盛り込む形で教委の私学指導関与を可能にさせたい考え。中教審の議論を経て法改正に着手する。」のだと。

★「未履修問題」→「教育基本法改正」→「地方教育行政法改正」→・・・という文脈だが、これは憲法の改正の前に、≪自由の砦≫の外堀・内堀を埋めていこうという官僚のシナリオではないか。

★明治以来≪私学の系譜≫と≪官学の系譜≫は対峙してきたが、戦後教育基本法成立以降は水面下で続いてきたので、あまり目立たなかったが、その対峙が再び目の前にあらわれてくるのだろうか。

★この問題はひとり私学の問題ではない。国民1人ひとりの自己責任の前の自己決定の自由を侵害することにもなりかねない。慶応義塾の安西塾長の言うように、福澤諭吉が直面してきた社会の混乱期・矛盾の時が再び出現するのかもしれない。

★≪私学の系譜≫を「未来への先導者」として継承し、社会を良い方向に変えようという慶応義塾の使命は、オール私学の使命でもある。「ゆるやかな理念共同体」としての私学が「戦略的あるいは改革的理念共同体」として活躍しなければならない時代が到来したのである。(本間 勇人)

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2007年1月29日 (月)

教育再生会議が学ぶこと

教育再生会議が動き出した。17人の教育再生会議有識者の議論は百家争鳴。
問題解決には私学の教育をモデルにするしかない。

教育再生会議が、安倍首相の肝いりで内閣に設置され、今年10月18日に第1回会議が開催された。

ところが、その直後日本中を必修科目の履修漏れ問題が襲った。11月1日時点での文科省の集計によると履修不足が判明した学校は、全国で計540校(公立314校、私立226校)。

文科省は「平成18年度に高等学校の最終年次に在学する必履修科目未履修の生徒の卒業認定等について」という依命通知を出し、一応事態収拾。

東京私立中学高等学校協会会長近藤彰郎先生(八雲学園理事長・校長)は「履修不足問題がこれほど全国に広がるのはおかしい。現場で読み替えたり、アレンジしたりするのは当然のこと。今回の文科省や教育委員会の対応は、この創意工夫まで履修不足だと言っているようなもの。アレンジせずに決められた通りにやれと言っているに等しい。これでは全体主義だ。」

文科省の対応の仕方によっては、1人ひとりの子どもたちのニーズに合わせて創意工夫する成熟した教育を否定することになると指摘。

「今回の問題はある意味、結果的に重要な論点を明らかにした。公立学校においては、ゆとり教育と現場の教育の歪みが露呈したわけだ。履修していないのに履修していると報告する行為に問題はあるが、現場に屈折した対応策をとらせたのは文科省自身だろう。
私立学校は、もともと校長裁量で、学習指導要領をアレンジし、生徒たちの夢を実現する学びの環境を作ってきた。
今回そのアレンジの幅が問題になったようだが、実は何の問題もなかったのだということになるだろう。
今回対象になったのは、大学進学のために一生懸命勉強している生徒たち。一方、公立高校で、分数の計算ができない生徒がたくさんいる。画一的に微積を教えても習得できない。現場でアレンジしなければ履修を認定できない生徒がたくさんいる。」

生徒1人ひとりのニーズに適合した多種多様な教育は、現場の創意工夫から生まれる。私立学校間の競争は、この教育の質の切磋琢磨にある。

公立学校間の競争は大学合格実績という量の論理。この経済優先の競争原理の歪みが今回の問題につながった。

11月、東京私立中学高等学校協会の創立60周年記念式典と第54回全国私学教育研究集会東京大会を同時進行で開催した近藤会長は、「安倍内閣は、教育改革を主要な政策としている。そうであれば建学の精神を礎に、時代の要請に応えていく、全国の私立中学校高等学校の姿をご覧いただきたい」と高らかに謳った。

教育再生会議は量の競争ではなく、質の競争を私学から学ぶべきではないかということだろう。

教育再生会議有識者
浅利慶太:劇団四季代表・演出家
池田守男:株式会社資生堂相談役 ○
海老名香葉子:エッセイスト
小野元之:独立行政法人日本学術振興会理事長
陰山英男:立命館大学大学教育開発・支援センター教授
       立命館小学校副校長
葛西敬之:東海旅客鉄道株式会社代表取締役会長
門川大作:京都市教育委員会教育長
川勝平太:国際日本文化研究センター教授
小谷実可子:スポーツコメンテーター
小宮山 宏:東京大学総長
品川裕香:教育ジャーナリスト
白石真澄:東洋大学経済学部教授
張 富士夫:トヨタ自動車株式会社会長
中嶋嶺雄:国際教養大学理事長・学長
野依良治:独立行政法人理化学研究所理事長 ◎
義家弘介:横浜市教育委員会教育委員、東北福祉大学特任講師
渡邉美樹:ワタミ株式会社代表取締役社長・CEO
       学校法人郁文館夢学園理事長
※◎座長 ○座長代理  ※首相官邸サイトから

[初出:NettyLandかわら版12月号]
(本間勇人)

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2007年1月27日 (土)

東洋経済は私学に期待?

◆「週刊東洋経済(2007年1月27日)」は特大号。「ニッポンの教師と学校」を全解明するという特集記事を掲載。

◆45ページにもわたる膨大な『量』の特集。それにしても特集のトーンは『量』的リサーチ以外の何ものでもない。世界は『質』的研究に力を注いでいるというのに、相変わらず『量』的評価視点しかない。これでは、どんなに解明しようとしても本当のところは見えてこない。

◆その象徴的記事が、美術に関してである。「私語厳禁の美術の授業 達成感が子どもの自信に」というトボケタとしか言いようのない記事が真面目に扱われている。「美術に上手下手は関係」ないというトーンである。

◆質的評価を放棄してしまっている。たしかに、美術とはもともとセンスを評価するのではないだろう。だからそこは評価できない。しかし、センスを表現する技術は美術といえども論理的なのだ。そこは評価できるはずだ。ただ、その論理が再びセンスを豊かにする臨界点で、美学的方法論に転換するだけだ。そこから先は学校教育でどうしようもない。いわゆるセンスなのだから。その芽は摘まないほうがよい。どこの部分は評価できるかという話なのに、全面的に放棄する必要はあるまい。

◆『質的』評価は、主観だどうのこうのといわれるかもしれないが、この評価方法は実は20世紀に本格的に生まれてまだ確立されていない。その途上であまり文句を言わないことが肝心だ。

◆それにしても、「週刊東洋経済」の編集長は、慧眼の士としか言いようがない。さんざんそういう諦めにも近い特集の中で、たった3ページではあるが、私学の記事に紙片を割いている。割合にして6.7%。これは全国の中学に対する私学の割合にほぼ等しい。なんという緻密な計算。

★そしてさりげなく「理想の授業は私立でなのか」と小見出しを挿入。公立学校は量の競争というラットレースで、私立学校は質の競争という超越領域における公平性の貫徹。意外と真実を見抜いている編集者は多いかもしれない。(本間 勇人)

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2007年1月15日 (月)

目配りから生まれる私学の防災教育

国や各自治体で「防災マニュアル」の整備が進んでいるが、きめ細かい教育実践の充実までには到っていない。今後は私学独自の先進的な防災教育もモデルになるだろう。

1995年の阪神・淡路大震災後、兵庫県は、すぐに「兵庫の教育の復興に向けて」という提言を作成した。それ以来、兵庫県はもちろんのこと、各自治体でも防災マニュアルの検討や防災教育に全力を尽くしている。

しかし、その後、新潟県中越地震や福岡県西方沖地震、各地の台風による災害など予想を越える自然の猛威はすさまじく、その度に、国や各自治体は防災対策強化を講じている。

企業や市民も防災に対し関心が高く、帰宅困難な人を救う避難所を提供するなど協力体制が形作られつつある。

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図をクリックすると大きく表示されます。

しかし、ふだん多くの子どもたちは学校にいて、家族から離れた場所におり、学校の危機管理が最重要課題。

それゆえ、文部科学省や各自治体の作成する「防災マニュアル」には、学校による防災教育の項目が必須なのである。この手のマニュアルはかなり細かくできている。

たとえば、災害後、どのように生徒たちが帰宅するのか日頃から保護者と確認し、訓練までするように指摘しているほど。しかし、実際に災害が発生した場合、どの段階で生徒たちを帰宅させるのか、その判断は校長に委ねられている。

したがって、東京都教育委員会では、1995年にまとめた「学校防災マニュアル」を今年さらに見直そうとしている。が、災害はいつ起こるかわからない。転ばぬ先の杖はないものか。

その1つのモデルとして優れている体制をとっているのは笹塚にある富士見丘中学校である。同校の防災教育の卓越性は、避難訓練のような特別なイベントを指すのではない。ふだんからハード面とソフト面の教育を怠らないという意味で優れているのである。

同校の校舎はあらゆる面でエコロジカルな仕掛けが施されており、特に水についての発想は興味深い。雨水を地下貯留ピットに貯め浄化し、中水としてトイレの洗浄や植栽の散水に利用できるシステムが設置されているが、上水の確保だけではなく、この中水の確保が、災害時に大いに役に立つ。

電気も大型自家発電装置が設置されていて、上水、中水ばかりではなく、電気というライフラインも確保されている。生徒教職員が残留隔離されても、3日間は学校で安心して生活が可能。

このように生徒に何が必要かというきめ細かいハード面に対する配慮は、富士見丘の先生方の生徒を思いやる目配りから生まれている。

先生方は、生徒の小さな変化を見逃さず、電話や面談で常に情報共有をしている。生徒が何を感じ何を考えることが大切なのかは、普段から親密に接しているからこそわかるのである。

[初出:NettyLandかわら版10月号]
(本間勇人)

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2006年11月26日 (日)

金融・経済教育と司法教育

◆2005年は経済教育元年だった。以来、世の中のニュースは、TOB(株式公開買い付け)やM&A現象で溢れている。携帯電話や様々な金融カードで決済ができる状況で、子どもも簡単に巻き込まれる。そこで最初は経済モラルを指導するために経済教育は始まった。

※参照→国際教育情報室室長岡部憲治のサイト

◆今度は2009年までに始まる予定の裁判員制度に先駆けて、司法教育が注目を浴びているという(日本経済新聞2006年24日夕刊による)。模擬裁判を通して社会モラルや人権を学ぶことがねらいらしい。

◆しかしながら、多くの私立学校では、すでに総合的な学習の時間や社会科の中で、金融や司法の教育プログラムを導入している。たとえば、金融教育で有名なのは品川女子学院。また京北白山高校では、日経ストックリーグで、アメリカ的な実践的なプログラムを導入し、高校生が大学生相手に数々の勝利を収めている。

◆司法教育では、渋谷教育学園幕張立命館宇治高校の模擬裁判のプログラムが有名だし、たいていの私学では社会科の授業の一環としてどこかに組み込んでいるだろう。

◆したがって、今さら金融教育や司法教育といっても私学にとっては当たり前ではある。しかしながら、現状では金融経済モラルや人権や社会モラルの側面が強調されているが、この先は金融教育と司法教育の融合が行われるはずだ。

◆扱われる問題が刑事事件や人権問題ではなく、商取引、つまり民法や商法などの民事法や知的財産権などの領域の問題が扱われるようになると、この両者の教育の融合は一挙に加速するだろう。

◆ここにきてようやくグローバルな領域につながる。そして、これは私学でしかできないことだ。法と経済と正義の葛藤。どこの私学が始めるのだろうか。そう思って麻布の「論集’05」を開いてみたら、すでに社会科の修論として「自由主義政治思想の歴史的展開と現代自由主義」というテーマで高1生が書き上げていた。題目からは政治の話では?と思うかもしれないが、資本主義に包含されていく所有の交換システムを古代ギリシア、中世、啓蒙期、近代と歴史的に検証していき、最終的にはロールズ、ドゥーキン、ノージックという現代の金融商品の商取引の自由を正当化する多様な論を発見している。

◆金融経済とそれを正当化する司法システムの危うさを見抜いている点で、ファイナンシャル・アナリスト達を乗り越えている。それにしても、ヨーロッパ中世のドミニコ会の修道士であり神学者でもあるトマス・アクイナスの公正価格論(シュンペーターやロールズにも影響を与えているだろう)まで検討しているとは!脱帽である。(本間 勇人)

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